心のありか

論文で写真家の「感性」を扱うのだが、ときにそれは当事者たちに「心」と表現される。写真家は「感性」や「心」によって被写体を「発見」するのだという。しかし、「感性」や「心」が、写真家自身に帰属されるかというとそうでもない。写真家という職業(役割)に帰属されている場合が多々見受けらるのだ。

写真家の社会的*1な役割とはなんであると当人たちは考えていたのか、写真家とはなんである「べき」と世間では言われていると(当人たちが)認識していていたのか、を再考しなければならない。

そうすることで、当人たちが考える心のありかがわかるような気がする。

書き終わるのか、論文は。

*1:これ以外の形容を思いつかない