美術手帳

美術手帖 2014年 12月号
読了。

安井仲治を「再(々)発見」しようと試みている論考。ただ、1920年代、30年代の写真家の再評価はすでにこれまでも進んできているような印象を受けるので、それをどこに・どのようにリンクさせたいのかを明示的に書いて欲しかった。「歴史は繰り返す」「歴史から学べ」がたとえベタなテーゼであったとしても、愚直にそれを指摘しつづける「写真史家」がいてもいいと思うのだが。というか、写真史家自体数が少ないのも問題なのだろう。飯沢や金子隆一、大島らが「まだ」商業誌の第一線で「活躍」していることが、そのいい証拠。小林美香や深川雅文、あるいは名取研に所属している若手の台頭を切に望む。

  • 大島洋「『リアル』と『主観』の距離」

土門拳のリアリズム運動を軸に、戦後の写真史を手際よくまとめている。「戦中の日本工房や国際文化振興会時代に、国家宣伝の一翼を担わなければならなかった仕事への反省」への「自戒の念」という言及有り。飯沢や大島らは、写真家たちとの距離が近いこともあってか、戦中の写真家の仕事を正面切って記述した仕事はしていない。言及するとしても、上記のように「戦後史」の文脈で、戦中期の活動と戦後のそれとの因果関係にふれるだけである。
ここにおいて、自分の論文の意義が(わずかでも)見いだせるような気がしている。