写真家たちの感性

本日は、飯沢耕太郎戦後写真史ノート―写真は何を表現してきたか (中公新書)』を読みながら、書こうとしている論文の内容を再考した。気になった点は2つ。

  • 東松照明の「さびしさの思想化」
  • 中平卓馬の「世界の不確かさをひきずりだし、それを対象化」すること*1

1960年代後半から70年代前半の言説だから論文からは少しはずれているが、土門拳らのリアリズム運動と比較して、より「感性」に拠って写真を撮るという行為がなされている、と扱われている印象がある(飯沢は前掲書でそう書いているように読める)。しかし、土門らも戦後、自身の感性を行為の動機として明示していた。リアリズム運動では、写真家が「素材を見つける」のは「直観」によってであるとされていたのだ。論点として取り上げるのであれば、「感性」なるものが別様のものとして、言い換えれば意味内容を改変されたかたちで文脈に依存させられながら語られるにもかかわらず、一貫して「動機」として明示されつづけている点の奇妙さだ。

戦前からの「連続性」という観点に立てば、写真家たちは一貫して自身の感性に身を委ねていると私は考えている。それ自体、写真を「芸術」と考えるのであればまっとうなことのようにみえる。整理すべきは、物語性を重視した報道写真も、リアリズム運動も、主意主義運動、『プロヴォーク』も、志向した写真が別様であるにもかかわらず、写真を撮るという動機に感性が使われてい点だ。しかし、彼らが「写真を語る」とき、「論理性」「知識」「自由」「責任」「対象や他者との距離感」も「動機」として取り上げている。
一方、戦争責任論が噴出した敗戦直後に、戦争協力を問われる可能性があった写真家たち*2は、戦中期は「感性」(写真を撮るという行為それ自体)を守るため戦争に加担していたのにもかかわらず、戦争協力に関する語りでは「感性の抑圧による加担の仕方なさ」を指摘している。その後、「写真」に復帰していく過程では、戦前の「論理性」「知識」「自由」「責任」を否定することなく自身の活動の基盤として語りはじめる。

……まとまらない。
 

*1:こういう言葉をみると社会学者・長谷正人を想起させられる。長谷は自身をポストモダン(と呼ばれるもの)に位置づけている

*2:写真家自身が問われると考えていたという意味