深夜に
吉見俊哉と水越伸がカルチュラル・スタディーズ(CS)について話していた、放送大学で。いつも気になるのが、CS研究者が「概論/総論/入門」を話すときに必ず「いっときブームのようになっていましたが」という言葉だ。たしかにいくつかの新聞で「CS熱い!」のように取り上げられていたと記憶しているし、書籍の売上やCS棚の登場などを見聞きしていると「はやっていた」といっていいと思う。気になるのは、ブームだったことは前提として置いておいて*1、それに対する価値判断をほとんどいわない点だ。
「ブームだった、だからCSが『ちゃんと』受容されなかった」とか「ブームだった、そのために論文生産のための装置のようになってしまった」とかあっていいと思うのだけど。
それに、「CS系」の研究って(多くは)おもしろくない、という評に対してもまともにリアクションしていないようにも思える。
クィア・スタディーズやジェンダー研究は「よそ」への対応を、自省的にやっている印象があるのだけど、CSはどうも正面から応えることをしていないように見えるのだ。
ガクモン的には、批判に対してなんらかのかたちで回答するのが義務のように思える。もちろんそれが沈黙でもかまわない。
でも、ブームだったことや批判があることを明示的に語りながらも(にんしきしながらも)、それに応えないってはどうもちぐはぐな気がする。
たんに、正面から批判に応えているモノを私が読んでいないだけなのだろうか。
気になる。
*1:ブームとは何ぞや、CSってそもそもなんだ、という問いをするのが妥当だと思うが